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大阪地方裁判所 昭和61年(わ)2235号 判決

主文

被告人を禁固一年に処する。

この裁判が確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六一年五月九日午後一時四〇分ころ大阪市城東区蒲生二丁目五番一四号先の東西に通ずる幅員三・一四メートルの道路上で全長約一・一一メートルのゴルフクラブの素振りをしようとしたのであるが、同所付近は住宅街であつて、自転車、歩行者等の通行も多く、右のとおり道路輻員も狭隘で、かつ、道路南側には公園のフェンスがあり、北側は事務所・住宅等の建物が立ち並んでいるため、同路上でゴルフクラブの素振りをすれば自転車、歩行者らの通行人がこれを避ける場所が制限され、ゴルフクラブが通行人にあたつて死傷の結果を生ずるおそれのあることが十分に予想される場所であつたから、被告人としては、このような路上でゴルフクラブの素振りをする場合には、ゴルフクラブの届く範囲内に通行人のいないことを確認して危険の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、右道路に出て来た際通行人のないことを確かめただけで、その後は東方からの通行人の有無を全く確認しないまま通行人はないものと軽信し、同路上で東方に背を向けて立ち、ゴルフクラブを北から南方向に円弧を描いて振り回した重大な過失により、おりから被告人の後方(東方)から西方に向つて、被告人の左側(南側)を自転車に乗つて通行しようとした甲野花子(当時三六歳)に気付かず同女の胸部をゴルフクラブのヘッド部分で強打し、よつて、同女に胸部打撲による心臓挫創の傷害を負わせ、同日午後三時五七分ころ同市城東区中央一丁目七番二二号の東大阪病院において、同女をして右傷害に基づく心タンポナーデにより死亡するに至らしめたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(当裁判所の判断)

弁護人は、一般的にゴルフスイングは死亡事故と直ちに結びつくほどの危険な行為ではないし、被告人もハーフスイングしたものであつてその危険性はそれだけ低いものであつたこと、本件の如く、人通りも多くない場所でスイングし、背後から自転車で接近する人の心臓を直撃するといつた事故が起る確率は極めて少なく、一般的に死亡事故を予見することは困難であつたこと、被告人は事前に人通りのないことも確認していること等の点からみても、被告人の行為は、個別的具体的に観察して、重過失という程の軽率な行為ではなかつた旨主張しているので以下判断する。

具体的な状況の下で、当該行為の法益を侵害する危険性が著しく高い場合に、結果の発生を回避すべき注意義務に違反した場合には重過失があるというべきである。

これを本件についてみるに、本件事故現場は通行量の多い幅員三・一四メートルの生活道路(一週間後の同時間帯―午後一時四〇分から同二時一〇分迄の三〇分間―における東西の通行量の調査によると、単車、自転車の合計が一二台、歩行者が二八名)であつて、被告人は右道路の北側から約〇・九メートルの位置に西方を向いて立ち、ゴルフクラブを振つたのであるが、その位置からして、実況見分調書によればそのヘッド部分は道路の北側から約二メートル三〇センチの所まで延びるので、被告人の左側(南側)を通行する自転車や人に当る可能性が高い場合であつたこと、本件のゴルフクラブ(ウッドの一番ドライバー)は全長が約一・一一メートルのもので、これをスイングし、ヘッド部分が人体に当れば、たとえハーフスイングであつても傷害を負わせ、その部位によつては死という重大な結果を生じさせるものであるから、これの使用は状況如何で極めて危険性の高い行為であること、被告人は最初右道路に出て来た際に左右の安全を確かめただけでその後は後方(東方)への注意を払わないまま、予備動作(ワッグル)もなく、いきなりゴルフクラブをハーフスイングしたものであるが、以上のとおり、相当数の通行人(車)のある道路上の中央部付近で、後方に対する注意を欠いたまま、人の死傷の結果を招く可能性の高いゴルフクラブを素振りすることは極めて危険性の高い行為というべきであり、普通人である被告人にとつて右行為の危険性を予見することは十分可能であつて、その危険を回避するには、かかる道路上でゴルフクラブを振らないか、振るにしても場所を選び、後方等の死角に対する注意を払つて、ゴルフクラブの届く範囲内に通行人等のいないことを十分確認してなすべきであつたことは被告人においても容易に知り得たことであるし、なし得たというべきである。然るに、被告人は前叙のとおりの状況下で、結果回避の措置もとらず、漫然ゴルフクラブを素振りして判示のとおりの重大な結果を引き起したものであつて、右被告人の行為は重過失に当るというべきである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二一一条後段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を禁錮一年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

(量刑理由)

本件は、道路上でゴルフの練習を始めた被告人が、通行人の有無をよく確かめないまま、軽率にゴルフクラブを振つたため、そこを自転車で通りかかつた主婦にゴルフクラブのヘッド部分を命中させ、被害者の尊い生命を奪うという重大な結果を惹起したというもので、三人の子供を残し、このような事故で命を落した被害者の無念さ、遺族の悲嘆を思うと、被告人の責任は重いといわなければならない。本件事故はマスコミに大きく取り上げられ、殺人の名で報道されたように、社会的にも厳しい非難がなされているものである。

しかしながら、被告人にはこれまで前科もなく、二児の父としてまじめな社会生活を営んでいること、本件事故後直ちに被害者を救護し、被害者の死亡後はその冥福を祈り、被害者方を訪れて遺族に謝罪をしていること、遺族との間で示談は未だ成立していないものの、すでに被害弁償金の一部として合計九〇〇万円を支払つており、右金額は本件事故により職を失つた被告人夫婦にとつて現在なしうる最大限の弁償額であることの他、前述のとおりの報道がなされて被告人の家族も大きな苦痛を被つている等の社会的制裁を受けていること等の事情を斟酌すれば前記の刑が相当であると思料する。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官兒嶋雅昭)

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